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東京地方裁判所 昭和61年(ワ)13248号 判決

原告

安田智実

右法定代理人親権者父

安田剛

同母

安田和子

右訴訟代理人弁護士

岩崎精孝

高見沢重昭

被告

東京都杉並区

右代表者区長

松田良吉

右指定代理人

内山忠明

外三名

被告

東京都

右代表者知事

鈴木俊一

右指定代理人

中村光博

外一名

主文

一  原告の被告らに対する請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは、各自、原告に対し、一一〇〇万円及びこれに対する昭和六一年一〇月二五日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する被告らの答弁

1  主文同旨

2  仮執行免脱宣言

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  原告に対する「いじめ」の経過

(一) 原告は、昭和六〇年四月一日、東京都杉並区立第三小学校(以下「本件小学校」という。)に入学したが、入学後まもなく、学級の児童のうち石田晴彦(以下「石田」という。)を中心とする集団から、次のようないわゆる「いじめ」を毎日のように受けるようになった。

(1) 原告に対し、「のろま」、「ばか」、「きちがい」と悪質な悪口をはやしたててからかう。

(2) 原告の首筋の傷跡のかさぶたをはがし、「病気持ち」、「汚い」などとののしる。

(3) 原告の筆箱等の文房具類を取って隠し、いじわるをする。

(4) 不意に原告の背後から、後頭部を肘又は拳で殴り、あるいは、原告の胸倉を掴んで振り回し、時にはそのような状態で殴るなどの暴行を行う。

(二) そして、右のような日常的な「いじめ」に加え、特に、

(1) 昭和六〇年九月ころ、原告は、石田から首すじに虫かぶれができていたのを指摘され、「病気持ち」などとからかわれた上、首すじに鉛筆を突き立てられ、折れた鉛筆の芯が原告の首すじの皮膚の中に深く突き刺さるという事件があった。

(2) 同年一一月一一日の体育の授業中、原告は、石田に後頭部を手拳で強く殴打されて発熱し、医師の治療を受けた。

(三) 原告は、右(二)(2)の殴打事件(以下「殴打事件」という。)以後、吐き気が強く、東京医科大学病院へ通院して治療を受け、その間、通学することができなかった。その後、原告は、同年一二月三日から通学を再開したが、原告に対する「いじめ」は、引き続き執拗に行われた。

(四) 昭和六一年一月一五日ころから、原告は、突然笑い出したり、風呂の水を飲むなどの奇行を行うようになり、うつ症状も現われるなど症状が悪化した。そして、同年二月五日、学級の児童らが、「お前は馬鹿になった。」と言いながら、原告の薬を取り上げ、「気違いの薬」と言ってからかったことが原因となって、同日以後原告の病気が極度に悪化するに至り、原告は、以後、登校することができなくなった。

(五) 原告の両親は、原告をこのまま本件小学校に通学させれば、「いじめ」を受けて原告の症状が更に悪化する危険があると判断したので、同年六月一六日ころ、原告は、他の学校へ転校した。

2  原告の症状

原告は、前記「いじめ」により、小児神経症を発症し、現在も通院加療中であって、精神的に不安定な状態にある。

3  責任原因

(一) 小学校の教諭は、学校教育の場において、児童の生命及び身体等の安全について万全を期すべき条理上の注意義務を負っており、特定の児童に対する「いじめ」が行われているような場合は、早期にこれを発見し、その原因を解明し、家庭と協力してその原因の除去に努め、「いじめ」を撲滅する活動を行う義務がある。そして、原告のような低学年の児童の場合には、人格的にも未発達であるから、教諭に課せられる右の注意義務の程度は特に重いというべきである。

(二) 本件において、原告の学級担任であった野崎朋子教諭には、次の過失がある。

(1) 殴打事件前

野崎教諭は、原告が石田らにより「いじめ」を受けている様子であることを認識していたにもかかわらず、何の措置も採らずに漫然と放置していた。

仮に野崎教諭が右「いじめ」の存在を認識していなかったとしても、当時、多くの学校で日常的に「いじめ」が行われ、マスコミにおいてもこの事実が報道されており、学校における「いじめ」の発生は内在的な危険として認識されるべき状況にあったのであるから、同教諭が、児童本人に確かめるだけではなく、学級の児童や保護者等に確認し、場合によっては、児童の行動を観察するなど積極的に調査する措置を採っていたとすれば、本件の「いじめ」を発見してこれに対処することが可能であった。しかるに、同教諭は、原告本人に大丈夫かどうか確認したほかは、何の措置も採っていなかった。

(2) 殴打事件当日

野崎教諭は、授業中に児童が他の児童から暴力を振るわれることがないように注意すべき義務があったにもかかわらず、右義務を怠った結果、殴打事件を発生させた。

(3) 殴打事件後

少なくとも殴打事件後は、野崎教諭は、原告に対する「いじめ」の存在を認識していた。にもかかわらず、同教諭は、原告が石田や学級の他の児童から言葉による精神的な「いじめ」を継続して受けていたのを防止しようとしなかった。また、体育の授業中、原告が石田から石を投げられて、これを避けようとして移動した際、原告の話を十分に聞かずに叱るなど、原告の心理状態に対する配慮に全く欠ける措置をとった。また、同教諭は、「いじめ」に関与した児童に対する指導及び学級の児童間で話し合いを行い、父母との連絡を密にし、臨時の父母会を開催するなどの措置を講ずるなど「いじめ」の再発を防止するための措置を採るべきであったにもかかわらず、これらの措置を採らなかった。

(三) 野崎教諭は、被告東京都杉並区の公権力の行使に当たる公務員であり、その職務を行うについて、過失により違法に原告に損害を与えたものであるから、被告東京都杉並区は、国家賠償法一条一項により、原告に生じた後記損害を賠償する責任がある。また、被告東京都は、野崎教諭の俸給等の費用を負担する者として、同法三条一項により、同様に原告に生じた後記損害を賠償する責任がある。

4  原告の損害

(一) 慰藉料 一〇〇〇万円

原告は、前記のとおり石田らの「いじめ」により小児神経症を発症するなど精神的に大打撃を受け、昭和六〇年一一月一一日以降転校するまでの間、ほとんど通学することができず、遠方の小学校へと転校することを余儀なくされた上、現在も通院加療中である。これらにより原告が受けた精神的苦痛を慰藉するための慰藉料としては一〇〇〇万円が相当である。

(二) 弁護士費用 一〇〇万円

原告は、原告訴訟代理人らに対し、本訴を提起追行するための弁護士費用として、一〇〇万円を支払った。

5  よって、原告は、被告らに対し、国家賠償法に基づく損害賠償として各自一一〇〇万円及びこれに対する不法行為の日の後である昭和六一年一〇月二五日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払うことを求める。

二  請求原因に対する被告らの認否

1(一)  請求原因1(一)のうち、原告が、昭和六〇年四月一日、本件小学校に入学したことは認める。(1)ないし(4)の事実は知らない。その余は否認する。原告を含む児童間においてあった争いや衝突は、小学校一年生程度の年齢の児童の間では通常生じる程度のものであったというべきであり、損害賠償の原因となるような「いじめ」とはいえないというべきである。

(二)(1)  同1(二)(1)の事実は知らない。

(2) 同1(二)(2)のうち、原告主張の日の体育の授業中原告が石田に殴打されて発熱し、医師の治療を受けたことは認めるが、その余は知らない。

(三)  同1(三)のうち、原告が昭和六〇年一一月一二日から同月二五日まで通学しなかったこと(原告が通学を再開したのは同月二六日であり、同年一二月三日ではない。)は認めるが、原告の吐き気が強くなったこと及び通院治療していたことは知らない。その余は否認する。

(四)  同1(四)のうち、原告が昭和六一年二月一三日(原告は同月一二日まで登校しており、同月六日以降登校しなくなったのではない。)から転校するまで登校しなかったことは認めるが、その余は知らない。

(五)  同(五)のうち、原告主張のころ、原告が転校したことは認めるが、その余は知らない。

2  同2の事実は知らない。

3  同3(二)の事実は否認する。野崎教諭は、休憩時間中であっても原告ら児童の行動を見守るなど児童の安全に配慮していた上、児童達からの話を十分に聞く機会を設け、また、家庭訪問や学級懇談会の機会を捉えて自らの目が行き届かない場面についても状況の把握に努めていたが、その中では、原告が一方的にいじめられているような事実はなかった。また、同教諭は、原告が登校しなくなってからは、度々原告の家庭を訪問しただけではなく、原告の母親と毎日のように連絡をとり、原告の状況、保護者の要望、治療を担当する医師からの指示の内容などについて把握することに努め、原告が登校を再開した後は、その行動を常に観察していた。したがって、同教諭には過失はない。

4  同4の事実は知らない。なお、仮に原告が他の児童から「いじめ」を受け、これについて被告らに責任があるとしても、原告は神経学的には異常はなく、小児神経症に起因する症状も、現在では全くみられず、今後も普通の生活を営んでいく上においてはこれが現われる可能性はないのであるから、原告には現実の損害はない。仮に損害があるとしても、原告は既に石田の両親から和解金五万円を受領しているほか、学校内で受けた傷害等に関して支出した治療費については、日本体育・学校健康センターから災害共済給付金の給付を受けているのであって、これらにより原告が受けた損害はすべて填補されているというべきである。

第三  証拠〈省略〉

理由

一原告が昭和六〇年四月一日に本件小学校に入学したこと及び昭和六一年六月一六日ころ原告が転校したことは当事者間に争いがない。

二原告は、本件小学校に入学した後、請求原因1のような「いじめ」を受けて小児神経症を発症した旨主張するので、この点について以下に検討する。

1  〈証拠〉によれば、次の事実を認めることができる。

原告は、本件小学校に入学した後、まもなく、同じ学級の石田を含む他の児童らから、不意に後から殴られたり、「ばか」、「のろま」などの悪口を言われたりしていじめられるということがあり、また、夏休みに行われた学校主催の水泳講習会の期間中に、石田から下手だと言って押して転ばされるなどのいじめを受け、以後水泳講習会に出席するのを嫌がるようになり、さらに、二学期が始まった直後の九月ころ、首筋に虫刺されによるかぶれができていたところ、右児童らから「汚い」、「病気持ち」などと言ってからかわれた上、その付近の首筋に鉛筆を突き刺され、その芯が刺さったまま折れて首筋に残るといった出来事があった。その後、昭和六〇年一一月一一日、原告は、石田から後頭部付近を殴打されて発熱し、医師の治療を受けるという事件(殴打事件)があり(原告が同日石田に殴打されて発熱し、医師の治療を受けたことは当事者間に争いがない。)、その日から、吐き気と頭痛が続き、翌一二日から二五日まで学校を休んだが、その間、一五日に東京医科大学病院小児科で診察を受け、星加医師に、学校での「いじめ」が誘因となっている夜驚症及び心因性頭痛と診断され、昭和六一年一月まで同病院小児科に月数回通院して治療を受けた。原告は、同年一月ころから、火をつけないでガスの臭いをかいだり、風呂のお湯を美味しいといって飲むなどの奇行を見せ、学校を休みがちになったが、同年二月四、五日ころ、右児童らに、病院からもらった薬を見つけられ、「これは気違いの薬だ。」、「お前は気違いだ。」とからかわれたことがあり、そのころから、原告は、親と兄弟の区別がつかないようなことを口走ったり、「殺されるから、殺してやる。」と言うなどといった異常な言動を示し、遂に同月一三日以降登校しなくなった。

原告に対する「いじめ」の実態は、右に認定したような内容のものであったと認められる。

2  また、前掲各証拠によれば、次の事実が認められる。

原告は、昭和六一年一月三一日、杏林大学医学部附属病院において神経症嘔吐の疑いがあると診断され、また、同年二月一〇日以降東京医科大学病院精神神経科に通院して治療を受けたが、その治療に当たった宮川香織医師は、原告の病名を小児神経症(夜驚、夜間不穏状態、多動)と診断した。同医師は、原告から登下校の際同級生の児童から石を投げられたり、石田にいじめられたりするなどの訴えを聞き、少なくともこれらの「いじめ」が原告が小児神経症を発症させるきっかけになっていると考えていた。なお、原告は、同年六月に転校手続をした後も、昭和六二年の夏ころまで、東京医科大学病院精神神経科に通院して治療を受けたが、通院を止めるころには、症状も軽快し、特に治療を必要とする状態ではなくなった。

3  以上認定した事実に、〈証拠〉を総合すれば、小児神経症とは、小児の発達の過程で必要とする保護や支持が家庭を含む周囲の大人達から与えられないような場合に、内心の葛藤状態を異常行動や症状の形で発現させる一連の反応であって、種々の要素が複合してこのような状態になるものであるが、本件の場合は、前記1判示の「いじめ」が原告の小児神経症を発症させる誘因になっていたものであると認められる。

三そこで進んで、右の「いじめ」の程度及び被告らの責任について検討する。

1  まず、殴打事件までの間における野崎教諭の措置に過失があったかどうかについて判断する。

(一) 一般に、学校教育という集団教育の場においては、児童が他の児童との接触や衝突を通じて社会生活の仕方を身につけ、成長して行くという面があるのであり、したがって、学校としては、児童間の衝突等が一切起こらないように、常時監視を行って児童の行動を抑制し、管理しようとすることは適当ではなく、その衝突等が児童間に通常見られる程度を超えるような過激なものであって、集中的かつ継続的に行われるような場合でない限り、教育的な観点からその実状に応じて柔軟にその対応を考えていくべきものである。

そして、前示のとおり、本件での「いじめ」は、原告が小児神経症を発症させた誘因になっていたと認められるものの、〈証拠〉によれば、右小児神経症の発症は、それが唯一の誘因であるということはできず、原告の家庭内の母親を巡る弟との葛藤等の影響も考えられ、原告本人の気質や心身の発達程度等諸々の要因がこれに寄与しているというのである。そうすると、原告が小児神経症を発症させたからといって、そのことから直ちに本件の「いじめ」が、小学校の一年生の児童間に通常見られる程度を超えた異常なものであったと断定することはできない。

もっとも、前に認定したところによれば、本件の「いじめ」は異常なものであったとまではいえないにしても、その態様は、ある程度集中的かつ継続的に行われたものであり、その程度も、担任の教諭としてこれを認識したとするならば、そのまま放置しても何ら問題がないといえるようなものではなかったと認められる。そうであれば、野崎教諭としては、これを認識していたのか否か、認識し得るべきであったか否か等が問題になる。

(二)  そこで検討するに、殴打事件が発生するまでの原告の学級内における状況等については、前掲各証拠によれば、次の事実が認められる。

(1) 原告は、学級ではどちらかというと活発で、友達とも元気に遊ぶ児童であり、担任の野崎教諭は、原告が他の児童と互にやり合っていることはあっても、原告のみが集中的にいじめられている状況を見かけたことはなく、原告には他の児童から「いじめ」を受けていることを窺わせるような様子は見られなかった。また、一般に小学校一年生の場合は、学級内の些細なことでも担任の教師に伝えようとする傾向があるが、原告のみならず学級の他の児童からも同教諭に対し、原告が特にいじめを受けているなどの訴えはなかった。

(2) 昭和六〇年四月ころ、隣席の児童が原告の怪我をしている足を踏んでいじめるなどの行為をしたことがあったが、野崎教諭は、原告の母親からの訴えに基づきそのことを知り、直ちに隣席の児童に注意するとともに、席替えをして右児童と原告とが隣り合わせにならないよう配慮した。同教諭は、休憩時間中も、教室に残り、児童の行動を見守り、児童からの話をよく聞いていたほか、学級懇談会の機会を捉えて、自ら目の行き届かない場面についての状況を把握するよう努めていたが、原告の両親は、その半分以上も欠席しており、出席した際も、原告が「いじめ」を受けていることを訴えることはなかった。また、同教諭は、同年五月末ころ、原告宅を家庭訪問したが、原告の母親は、そのころ既に原告から石田らにいじめられた話を聞いていたのに、当時は格別これを問題視しておらず、同教諭に原告が「いじめ」を受けていることを訴えることはまったくなかった。右家庭訪問の後も同年一一月一一日の殴打事件までの間は、原告の母親が同教諭に対し、原告が「いじめ」を受けているから対処を求める旨の話をしたことはなかった。

(3) 野崎教諭は、殴打事件の当日、その事件後に、原告の母親から原告が以前から石田を中心とする同級生から鉛筆で刺されるなどの「いじめ」を受けていたとの話を聞かされたが、それまでは、同教諭は、原告に対する集中的かつ継続的ないじめが行われているとの認識はなかった。

以上のとおり認められる(原告法定代理人安田和子尋問の結果中には、「殴打事件の後、野崎教諭が自分に対し『九月ころから原告が集中的にいじめられているのを二、三度目撃した。』等と話したことがあった。」等の供述部分があるが、いずれもあいまいで具体性を欠く上、証人野崎朋子の証言に照らしにわかに採用することができず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。)。

以上の事実によれば、殴打事件が発生した当時までの段階では、本件の「いじめ」は、原告本人にとっては、精神的に大きな打撃であったとしても、周囲の人にとってはそのようなものとして容易に認識し得るようなものではなく、また、そうであったからこそ、野崎教諭に対し誰からもそのような訴えや申告もなかったと見られるのであり、したがって、同教諭がその存在に気づかず、そのためにこれを防ぐための措置を採らなかったとしても止むを得なかったものというべきである。

(三)  この点について、原告は、仮に野崎教諭が「いじめ」の存在を認識していなかったとしても、保護者等に確認し、あるいは児童の行動を観察するなど積極的に調査する措置を採っていたとすれば、「いじめ」を発見してこれに対処することが可能であったと主張する。しかしながら、前掲各証拠をもってしても、本件の「いじめ」は、それが通常の小学校一年生程度の児童間に見られる接触や衝突の域を大きく超える異常なものであったとは認め難く、また、前示のとおり、同教諭は、休憩時間中や学級懇談会の機会等を捉えて学級内の状況の把握に努めていたが、原告が学級内において特に「いじめ」を受けている様子はなく、昭和六〇年四月に席替えをしてから殴打事件までの間、原告本人からもその母親からも、同教諭に対し、「いじめ」に関する何の訴えもなかったというのである。してみれば、殴打事件までの間において、同教諭が原告に対する「いじめ」が行われていることにつき疑いをもって然るべきであったといえるような状況にあったということはできないのであり、このような状況の下で、同教諭において、原告が主張するような措置を講じて本件の「いじめ」の有無について積極的な調査をしていなかったとしても、そのことが過失であるということはできないというべきである。

(四)  なお、原告は、殴打事件の発生について野崎教諭に過失があったと主張する。

しかし、殴打事件のみが原告の小児神経症の誘因となったものではないことは前に認定したところから明らかであるから、殴打事件のみを取り上げてその発生について同教諭に過失があったか否かを論ずることは適当でないというべきである。のみならず、〈証拠〉によれば、殴打事件は、体育の授業中に、野崎教諭が、女子児童に対して雲梯の指導をしている間、約一六ないし一七メートル離れた場所で、固定施設遊びをしていた男子児童のうち原告と石田との間で、すべり台の順番争いをきっかけとして発生した突発的なものであったことが認められ、小学校一年生程度の児童間におけるこの程度の衝突を防止できなかったとしても、これにより、同教諭に過失があったということはできないというべきである。

(五)  以上によれば、殴打事件までの間の野崎教諭の対応に過失があったとは認められない。

2  次に、殴打事件後の野崎教諭の措置に過失があったかどうかを検討する。

(一)  〈証拠〉によれば、次の事実が認められる。

野崎教諭は、前示のとおり、殴打事件当日、初めて原告の母親から原告が石田らにいじめられている旨の話を聞き、本件の「いじめ」の存在を認識するに至った後、さっそく石田から事情を聞き、その母親に会って注意を促したほか、その後は、原告の母親とも再三にわたり電話や家庭訪問等で連絡をとり、原告の家庭内での状況、病院における治療状況及び学校での対処方法等について相談した。また、同教諭は、昭和六〇年一一月二六日に原告が登校を再開した後しばらくは、休み時間に原告が教室の外に出るときは一緒に出ていくなどできる限り原告に付き添って行動し、原告がいじめられないよう注意していたが、同年一二月一四日、原告の母親から野崎教諭に電話があり、「東京医科大学病院で医師から、小学校での担任の対処は他の子に対するのと同じでよく、付いてまわるなどの特別扱いはしない方がよいとの指導を受けた。」旨の連絡があったので、それ以後、原告に付き添って歩くのは止め、遠くから原告の様子を注意して見守るとともに、折りにふれ原告に声をかけるなどし、原告からの訴えがあればできる限り聞くように努めた。なお、原告が登校を再開した以後、同教諭は、原告の様子を観察してノートに記録していたが、原告はむしろ自分から石田に近づいて遊ぶこともあり、同教諭が観察した限りでは、原告が一方的にいじめられていた事実はなかった。その後、同年二月一三日以降、原告が登校しなくなったので、野崎教諭は、同月一七日と三月一〇日の二回にわたり、東京医科大学病院に赴き、宮川医師に面接して学校での対処方法を聞いたが、同医師から、先の原告の母親からの電話連絡の内容と同様に、教師の目からみてごく普通のその年齢の子相応の小さないざこざの場合には特別教師が干渉する必要はないとの話があった。その後、同教諭は原告の両親に対し原告を登校させるよう求めたが、原告の両親はこれに応じなかった。

右に認定した事実に照らすと、殴打事件後は、野崎教諭が、原告に対する「いじめ」を放置していたということはできず、かえって、同教諭は、殴打事件後、原告の母親から「いじめ」についての話を聞かされるや、直ちに石田及びその母親に対し注意したのみならず、原告の母親とも頻繁に連絡をとり、原告が受診していた宮川医師の意見も聞くなどして原告の様子を観察し、しばらくは、できる限り原告に付き添って行動するなど「いじめ」の防止のための措置を講じていたことが認められ、これらの措置は、小学校の教諭としてその時点でなし得る相当な措置を講じていたものと評価することができる。したがって、それ以上に、同教諭において、原告が主張するように児童間の話し合いや臨時の父母会を開催するなどの措置を講じていなかったからといって、同教諭に過失があったということはできない。

(二)  そうすると、殴打事件後においても、同教諭には原告が主張するような過失があったとは認めることができず、原告の小児神経症の発症について、被告らに責任はないというべきである。

四以上の次第であるから、原告の被告らに対する本訴各請求は、その余の点について判断するまでもなくいずれも理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官青山正明 裁判官千葉勝美 裁判官清水響)

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